Live Schedule

2019年1月14日月曜日

2019



明けまして
おめでとうございます

と言うには、日にちが経ち過ぎた。

なので、Facebook に書いた、成人の日に向けたコメントを転載。
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今日は成人の日なので、ラジオからは成人の日特集が流れていた。最初に読まれたリスナーからの文章がとても良かった。「これからの人生、思うように行かないこともたくさんあるが、二十歳の頃は挫折感や焦燥感を味わったとしても、段々と年を重ねるごとに乗り越え方は分かってくるもの。若い皆さんには人生の糧となるような名著をたくさん読んでほしい。」というようなコメントだったと思う。それに対してのパーソナリティの方は「この方は二十歳頃に感じたことをいまだに覚えているというのも素敵だ」と言っていて、本当にそうだと思った。
10代の頃から音楽を作っている人たちは、きっと昔作った作品を振り返ることで、当時の感覚を蘇らせることができるんだろうと思うと、30過ぎて音楽を始めた自分はとても羨ましく思う。
先日 知人と話していて(この人はオリジナル曲を書きたいけれどなかなか書けないとずっと言っている)「結局歌を書いたところで何になるんだ?と思ってしまう」と言っていたのを思い出した。多分、歌を書いても多くの場合は何にもならない。でもその瞬間に感じた一瞬の感覚を、歌(に限らず絵画も写真も詩作も)に残すことによって自分の中に残すことができる。と思った。だから若い方...に限らず自分も含めて...時々自分が感じたことを書き留めたり何かに残すということをしてみるのもいいのではないかと思う。きっと未来の自分への良い贈り物になる。
今日 成人の日を迎える皆さん、おめでとう。ようこそ、喫煙と飲酒と、責任と自由の世界へ。
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本年も、色々なみなさまと関わってたくさんお世話になると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

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2018年12月14日金曜日

富士山...という音楽朗読劇



あまりにもブログ更新してなさ過ぎて、使い方を忘れそうですが。

今年を振り返っていたら、幡ヶ谷のライブで「富士山」という音楽一人芝居をやったな〜ということを思い出して、古い PC から脚本( ? とも言えない)を引っ張り出すことに成功したので、記念に載せておきます。曲を思い出したら、そのうち音源を追加するかも、しないかも。。

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「富士山」

それは、一本の電話から始まった

〜ベルの音〜
はい?...えぇ、はい、繭子は長年の友人です。同郷の。… え?本当ですか?... はい。はい、確かに。… はあ。そうですか…


田舎から東京に出て来て 8年。都心の小さな会社でサボるでもなく、出世するでもなく日々働く私。

私から3年遅れて東京に出てきた繭子は、勉強して資格を取り、ネイルサロンというものを始めた。青山の外れで。

一年前、絶対に迷惑をかけないから、と泣き付かれて、私は繭子の連帯保証人になった。サロンをもっと大きくしたいという、彼女の意気込みを応援したい気持ちもあった。

その繭子が行方をくらましたらしい。

私もいっぱしの社会人として、連帯保証人の意味を知らないわけではない。彼女の借金は、今日から私の借金になったのだ。幸い、なんとか返済できるだけの蓄えは持っている。仕方がない、書類にサインをしたのは私なのだから。

もしかしたら少し話ができるだろうか?私は繭子の携帯に電話をした。だが案の定、彼女の番号はもう使われていなかった。

このお金、本当は密かに結婚のためにと考えていた。去年の夏から一緒に暮らし始めた彼氏との。彼との出会いは、友達に誘われていった、あまり興味のないライブハウス。いつの間にやら彼は、私の家に帰ってくるようになった。アルバイトもほどほどに、日がな一日ギターを弾いているその男を、周りの友人たちは陰で「ヒモ彼氏」と呼んでいるけれど、真剣に音楽を追究する少年のような彼の姿を見ていると、私はもうそれだけで充分だと思えた。

これからは少し二人の生活も厳しくなるかもしれない。私は彼の携帯に電話を掛けた。アルバイトに行っているのか、昼寝をしているのか、はたまたスタジオか、彼は出なかった。彼が電話に出ないことは珍しいことではない。いずれ折り返しがかかってくるだろう。

もう直ぐ自分の銀行口座が空っぽになる。そんな大きすぎる現実から少しの間でも目をそらそうと、私はいつになく仕事に集中した。

夜、帰宅しマンションの鍵を開ける。まだ帰ってないのか。彼の靴がなかった。ギターも無かった。カバンも無かった。そして T シャツと数枚の下着とスウェットも、無かった。

〜曲〜

静寂が押し寄せる きみのいなくなった部屋で
ドアの隙間から ベッドの下から 暗闇が押し寄せる

いつも座っていた ソファの右側
フリーマーケットで買ってあげた マグカップ
触れることもできなくて 私はこの部屋で
居場所をなくして立ち尽くす

あなたの居ない世界に どれほど価値がある?
長い夜が この身体と この心を 凍らせる
あなたの居ない世界に どれほど意味がある?
あなたの名残は かすかなタバコの 匂いだけ

〜曲〜

血の気の引いた頭のなかは、混乱しているようで、とても冷静なようで、彼が繭子の姿を目で追う時の表情が、脳裏にふと浮かんで消えた。テネシーワルツかな。本当のところはわからない。でも、もう…どうでもいいという気持ちになった。全財産と親友と恋人、その全てを私は同時に失ったのだ。明日からもまた同じように満員電車に揺られ、会社に通い、パソコンに向かう。そんなことができるとは、いまは到底考えられない。

真っ白になった頭のままぼんやりとした視線の先に、カレンダーの写真がうつった。真っ白い雲海の波間から浮かび上がる、夕陽の中の富士山。その足元には、迷い込んだら出てこられない、深い深い森があるという。そうだ、今からそこへ行こう。そこへ行って、全てを忘れて、私も森の一部になってしまおう。

私は財布とスマートフォンだけをカバンに入れ、一番近くのレンタカー屋へ向かった。

「喫煙可能車しかないんですよ〜、大丈夫ですかぁ?」

深夜にしてはやけに元気の良い店員の問いかけに、声を出すエネルギーさえ吸い取られ、ほとんど身振り手振り、うなづくだけで借りた、赤い軽自動車。24時間、7500円。久しぶりの運転に少なからず緊張しながら、私は東京の街を走りはじめた。「安全運転」心の中で呟いたすぐ後に「自殺しに行く者が安全運転もあったものか」と奇妙な矛盾にふっと笑った。

「三鷹料金所」「調布」「国立府中」「八王子料金所」「相模湖」「談合坂サービスエリア」

”ここでお昼にしようよ”

いつかのドライブでそう言った私に、彼は言ったっけ。

”この先の「初狩」の生姜焼き定食がうまいんだよ”

もう、そこへは行かない。初狩の手前「大月ジャンクション」で富士吉田線に進む。河口湖出口で一般道へおりた。シャッターの閉まった鄙びた土産物屋や、蕎麦屋の看板がときおり道路脇に現れては消える。やけに白々としたコンビニの明かり。やがて小さな民家すらない深い木立へと、景色は移り変わっていった。

いつしかまばらな街灯も途絶え、自分の車のヘッドライトだけが、行く先の道路を照らしだす。緩やかにカーブしながら森の奥へと道は続く。

…と、突然に車が速度を落としはじめた。アクセルを踏み込んでも全くスピードが上がらない。それどころか、徐々に歩くほどの速度になり、やがて静かに止まった。燃料はまだ十分に入っているはず。故障だろうか。何度も鍵を回してみたが、もう車はうんともすんとも言わなかった。こんな真夜中、追い抜いて行く車も、すれ違う車もいない。

仕方がない。

私はここに車を乗り捨てて行くことにした。このまま私が森に入って帰らぬ人となったところで、きっと誰かがこの車を見つけて、そうしたらあのレンタカー屋が回収に来ることだろう。

空は雲ひとつない夜だが、月がない。新月だろうか。星の明かりとスマホの画面の明かりとを頼りに、私は夜の森へ続く道を歩きはじめた。

「今どの辺りだろう?」ずいぶん歩いた気がする。スマホの地図アプリを立ち上げた私は大変なことに気がついた。充電のマークが、赤い。慌てて現在地を確認しようとしたその時、無情にも画面は真っ黒になっていった。夜が、一層静けさを増した。

ぼんやりと星明かりが映し出す路肩の線を頼りに私は夜の道を進んだ。もう自分が今どの辺りにいるのかすらわからない。道に迷った。おかしな話だ。道に迷うためにやってきたのだ。それなのに、道に迷う前に、道に迷った。

遠くの木立の奥に、うっすらと明かりが灯っているのが見えた。近づいて行くと何やら、人々が集まって焚き火を囲んでいるようだ。さらに近づくと、ざわざわと音楽のようなものが聞こえてくる。

〜曲〜

歌い踊り明かせよ 月のない この夜
君の名も忘れよ 月のない この夜
今宵ここに踊るは 音のない この娘

歌い踊り明かせよ 月のない この夜
僕の名も忘れよ 月のない この夜
君の細い指先で 地球は周り出す

〜音つづく〜

「あの…」

「ん?聞いて行くかい?今日は新月だからね。仲間うちでお祭りなのさ。こんな真夜中に?ここには苦情なんて言ってくる無粋な人間はいないからね。何よりこの森の住人はみな、今夜はこの祭りに集まっているのだから。」

「あの踊っている女の子は?」

「あぁ、あの子かい。きれいだろう。彼女は生まれつき耳が聞こえていないんだ。生まれたばかりの頃に、この森の入口に捨てられていてね、ずっとこの森で育った。祭りの夜はいつも踊ってくれるのさ。誰もあの娘と言葉を交わしたことはないがね、この森で一番の人気者さ。」

「ええ、本当に美しい!とても音が聞こえて居ないだなんて…。

あの、ところでそのコーヒーを、一杯いただくことはできませんか?ずっと歩いてきたからすっかり冷えてしまって。あ、お金なら少し…。」

「これを売ることはできないね。大体「カネ」なんていうもの、この森では使う人が居ないんだ。なんの役にもたたない紙切れだよ、硬くって鼻をかむこともできない。

でもね、もし君が今晩、この祭りを一緒に楽しもうというなら、ほら、ゆっくり飲んで行くがいいよ。」

〜音〜→〜変わる〜

「さあ、次はほら、あのおじいさん。盲目の吟遊詩人の登場だよ」

〜曲〜

海は私の喜び 輝く波をとらえよう
海は私のふるさと 全てを教えた
時を忘れ 波追いかけ
日暮れの浜辺 愛を語る

海は私の悲しみ あの日押し寄せた波が
全てを飲み込んでいった 舟も 櫂も
愛するものたちさえも

そして打ち上げられた 洞窟の暗闇
確かにあなたの手を 掴んで居たはずなのに
その手は 冷たく…

あなたの居ない世界に どれほど価値がある?
長い夜が この身体と この心を 凍らせる

あなたの居ない世界に どれほど意味がある?
この目にはもう あなたの姿も光も映らない

〜音つづく〜

「おや、今日は新しいお客人がいるようだね。さてはこの辺りで道に迷ったかな?

この森にはときどき、道に迷った旅人がやって来る。かつての私もそうだった。大きな津波に飲み込まれ、妻をなくし、目も見えなくなった。浜辺にぽっかりと空いた鍾乳洞に流れ込んでね、自分がもう生きているのかも分からないまま、洞窟の壁をずっと伝って歩いてきたら、この森にたどり着いたというわけさ。

この森には、じつにさまざまな境遇を抱えた人たちが暮らしている。誰かに裏切られ、大切にしていたものをなくし、人生に迷った旅人たちが、ここで旅をするのをやめ、新しい人生を生きて行くんだ。

さっき君は見ただろう、あの音の聞こえない娘が踊る姿を。あんな心躍るような美しいものに、これからも出会うことができるのだよ、あなたがただ 生きてさえいれば!」

〜曲〜

あなたの居ない世界に どれほど価値がある?
君が笑い、君が泣いて それだけでそれだけで

あなたの生きる世界は こんなにも素晴らしい
やがて生命 尽きる日まで 生かされているのだから
大きな力に

〜鈴の音〜

バックミラーに映る朝陽が眩しくて、私は目を覚ました。乗り捨てたはずの赤いレンタカーの中で、私は眠っていたらしい。あの、森の人たちは夢だったのだろうか?鬱蒼とした樹々の間から降り注ぐ朝の光が、とても清々しい。徐々に昨日の出来事を思い出す。私は昨日、友人と男とお金とを、いっときに失った。だからなんだと言うのだ?約束を守れない友達など、友達ではない。私より自由を愛する男に、愛を与える価値などない。お金なら、食べていける分だけあればいい。

鍵を回すと、エンジンが軽快な音で回り始めた。

そうだ、この車は今日の夜までに返せばいいんだった。会社には後で適当な言い訳を言うとして、今日は少しドライブを楽しもう。河口湖に映る富士山も見てみたい。私は森の中の道を、昨夜来たのと反対に走り始めた。鼻歌を歌いながら…

〜曲〜

私の生きる世界は こんなにも素晴らしい
やがて生命 尽きる日まで 生かされているのだから
大きな力に


2018年4月22日日曜日

春になっちゃった

最近、花粉がだいぶ楽になってきたよね〜と感じてるのは、私だけではないはず。
3 月の中頃からずっと、なんとなくダラダラと風邪っぽい感覚が続いていましたが、ようやくすっきりしてきたような。。

最近の(そんなに最近でもない)いろいろまとめて。

3/17 私のやってるクラシックポップスユニット(?)Kharites の 1st Album [祈り~Prayer~]のレコ発記念 LIVE @ 両国門天ホール、無事終了しました。お越しくださった皆様、ゲストアーティストの山中裕平さん、スタッフ各位、本当にありがとうございました。笑いあり、涙あり、あっという間の 2 時間でした。
Album はライブ会場のほか、HPでも販売していますので、ぜひ☆


4/14~15 山口・広島ちょいツアー行ってきました。山口は徳山 Ocean Boulevard という、店内に砂浜がある地下のライブバー(想像しにくいと思うんですけど…)、広島は A.M. Hiroshima という、お客さんもマスターもとにかく楽しいお店で。移動中に立ち寄ったお店でも素敵な出会いがあったりして、とても濃い2日間でした。
(A.M. Hiroshima のマスター ノッチさんとお客様とともに、ライブ翌朝の広島駅でカレーを食べる 7am 。全員寝てない…笑)


文学部出身のわりに日本文学を全然知らない私。最近めずらしく芥川龍之介作品を少しだけ読んでみています。

芥川の文章は、私にとってはリズム(というか多分 主語の置き位置)が馴染みにくいので、少々読みづらく何度も同じ文章を読み返してしまう。だからなかなか進まない。でも、最後の落としどころで しばしばハッとさせられるような表現に出会って、この偉大な作家の「心の有り様がわずかに動いたことへの敏感さ」に、時折仰け反りながら読んでおります。

⬆️「或阿呆の一生」(芥川龍之介)より「八. 火花」「十七. 蝶」

この「蝶」の一節を読んで、畑崎大樹さんの「Butterfly」の蝶と同じ蝶のような気がしてしまったのでした。

2018年1月24日水曜日

2018

あけましておめでとうございます。
大変遅ればせながら…。
音楽で、SNSで繋がってくださっているみなさん、今年もどうぞよろしく。

さて、去る 1/20 今年ひとつめの特別企画、khat feat. よしうらけんじさんをお迎えしての Ambient Session[秘密基地]、盛会のうち無事終了しました。
お越しくださった方、準備や宣伝にご協力くださった方、出演者のよしうらけんじさん・タカスギケイさん・畑崎大樹さん、会場 アトリエ第Q藝術の早川誠司さん、皆様に心より御礼申し上げます。

今回のライブ、じつは昨年秋頃に khat が出演したライブの帰り道、出演時間の短さに deep なファン達が消化不良を起こし(笑)、「khat ばっかりとにかくお腹いっぱい聴くライブやりたい!」という事になって企画したイベント。
以前から khat の音楽は「音」という枠を超えた美しいオブジェのようなアートだと感じて、彼らに相応しい場所を探しているなかで、今回の会場「アトリエ第Q藝術」にたどり着きました。
ここは一昨年の5月に畑崎大樹さんのワンマンライブを開催したブックカフェ槐多を擁した明大前のアート発信地「キッド・アイラック・アート・ホール」(2016年末に閉館)の後継とも言える会場。
日本画家の故 高山辰雄氏のアトリエとして使われていた邸宅のため、調度品など所々に深い趣が残る建物。キッドの早川誠司さんが、アートの発信地を守りたいという思いから、高山氏のお孫さんと共に運営されています。
昨年秋オープンのお祝い・ご挨拶に伺って地下室を見学させて頂き、一目で「ここで khat のライブを」と思い決定しました。

今回のテーマは「秘密基地」。もしかしたらお分かりになった方もいるかも知れませんが、大樹さんのオリジナル曲「フルート」のなかに出て来る「真夜中の基地」をイメージしたライブ会場にしたかったのです。真夜中、お屋敷の地下の秘密基地に特別な仲間たちが集まって、khat の音楽とともに不思議な旅をする、そんなイメージです。

「フルート」の歌詞に出て来るアイテムがいくつかセットのなかに紛れ込んでいたのですが、見つけられた方はいるかしら?(←マニアック過ぎ)

それから舞台後方に飾ってあった 3 つの写真、暗くてよく見えなかったと思いますが、こんな写真でした。この3つは出演者のお三方の私なりのイメージです。

よしうらさんのパーカッションからは、いつも大地の響きのようなエネルギーを

タカスギさんの音色からは水や空気のようなキラキラした結晶のようなもの

そして大樹さんのギターと声には、人間の生命の根源的な力を感じています。



ライブは前半 45 分、後半はなんと 1時間半という長丁場。しかもほとんど MC なし(途中で 1 回、タカスギさんによるすごい MC がありましたが...。あの”笑いに厳しい”大樹さんが「ケイくん、咄嗟にそれ出てくるなんてすげーわ、感動した」と。みんなも同じ気分だったと思います。びっくらした💦)。

あとはもうひたすら khat の世界に浸りきりました。

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感想は ... これは聴きに来て下さった方にしか分からない。「最高」という言葉では言い表わせないくらい素晴らしかったです。
音楽を現す表現で「お酒に合う」とか「踊れる音楽」とか言うけれど、この夜の khat のライブは「音楽にただひたすら聴き入ること以外、何もしたくない」ような音楽でした。奏でる 3 人の姿もとても美しくてかっこよくて、片時もステージから目が離せませんでした。(主催者なのに完全にお客さんになってしまってた。)

そしてもうひとつ、とても感動したこと。それは会場のアトリエ第Q藝術の早川さんが、本当に親身になって一緒に会場作りをして下さったこと。通常は蛍光灯の控室や通路の灯りを、イベントのイメージに合わせてわざわざ白熱灯に替えて下さったり、セットの並べ方も「もっとこうした方が映えるかも」と色々なアドバイスを下さったり。
私は学生の頃に演劇の大道具をやっていたことがあり、セット作りは初めてではないのですが、やはり平素からたくさんの舞台に関わり、照明のプロとして活動していらっしゃる方の視点はじつに的確で有り難かったです。(「モノ」を光が当たった時のことを考えて立体的に見ていらっしゃるんだなというのが印象的でした。)

では最後にちょっとだけライブのダイジェスト動画を。(ちょっととは言っても 10 分ありますが ...)これは、おもにライブに来てくださった方と、どうしても来られなかった方むけの動画です。(当日、ご本人や周りの方の風邪が原因で急遽キャンセルされた方が少しいらっしゃいました。きっと楽しみにしていて下さったと思うので少しでも当日の雰囲気を感じて頂けたらと。)



ライブの日の前日、よしうらけんじさんが Facebook のタイムラインで「khatはじっくり聴くことで1晩の物語が完結する要素があります」と書いていらっしゃいました。本当にその通りだと思うので、この動画で khat にご興味を持たれた方は映像だけで満足せず、ぜひライブ会場に足をお運びください。次回の khat feat. よしうらけんじ ライブは 2/26(月) 池尻大橋 CHAD にて。



2017年12月26日火曜日

白いワゴンのおはなし

夜が更け、街じゅうが寝静まるころ、私の街にはときどき一台の白いワゴン車が現れる。
それは静かに電柱の脇に停まり、アスファルトの道路の隅に散らかった何かを積み込むと去ってゆく。
このあいだの晩も、仕事帰りに駐車場に車を停めて出てきたところで、このクルマを見かけた。少し離れた電柱の陰から見守っていると、運転席から降りてきた人影が道端に積まれた、ちょうど畳を半分に切ったほどの大きさの粗大ゴミらしきものを手早く積み込んでいた。

ー あれは M君の家ではないか

M君はこの街に住む私の数少ない友人のひとりで、田舎からこの街へ画家を志してやってきた男だ。たしか故郷は中部地方のどこかだと聞いた。
なるほどM君の捨てた四角いゴミとくれば、失敗作の油画かなにかかもしれない。画家はたいへんだ。彼に引き比べ私のような音楽を作ることを生業としている者は、まだ救われる。作品が失敗作に終わったところで、無駄にするのはせいぜい紙とインクと創作に使った時間くらいのもので、しかも時間だけは余るほどにあるのだから。

そのとき電柱のうえの切れかけた街燈の灯りがチカチカと、M君の四角いゴミを照らした。ほんの一瞬だったので定かではないが、女性の姿を描いた絵のように見えた。

それから白いワゴン車は古びたイーゼルを積み込んで、静かにエンジン音を響かせながら去っていった。

私は急いで今さっき出てきた駐車場へ戻ると鍵を回した。白いワゴン車が、どうにもただの廃品回収業者のようには思えなかったからだ。
彼(果たして男か女かも分からない)がなにを回収し、それをどこへ運んで行くのか、確かめたくなった。

街から幹線道路へ抜ける道は一本で、私はすぐにそのワゴン車の姿を捉えた。あまり近づきすぎぬよう、かといって見失わないよう、程よい距離を取りながら後ろについて走る。
向こうはというと、私の存在に気づいているのかいないのか、速度を変えることなく夜の街道を走り続けた。

ラジオからはヴァイオリンの演奏が流れている。どこかで耳にしたことのある旋律だが、クラシック音楽には明るくないので、なんの曲だったか思い出せない。街道沿いに続く街灯が、まるで音楽に合わせるようにテンポよく通り過ぎ、光のメトロノームのようだ。

もうどれくらい走り続けただろうか。気がつくと白いワゴン車と私の車は、荒涼とした砂丘の脇にたどり着いた。
ワゴン車はそっと荷台を開けると、積荷を順々に砂の上へ並べていった。
すると、そのうえに、サラサラと砂が覆いかぶさってゆく。風は吹いていない。
まるで大気中に流れるなにかが、空の途中で固まって降り注いでいるかのように、砂はあとからあとから舞い落ちて、並べられた品々を覆い隠していった。

やがて仕事を終えたワゴン車は、また静かにエンジン音を鳴らし、夜の中へと走り去っていった。

ひとり取り残された私は、砂丘の砂をそっとかき分けてみた。
M君の捨てた絵。
やはり女の人の絵だ。抽象的だが美しく、どこか哀しげな佇まい。私はM君の秘密を覗き見てしまったような苛責を感じ、慌てて砂をかぶせた。
少し離れたところには使い古されたギター。糸巻きと湾曲した木製の本体の一部とが、砂から顔を覗かせていた。
そのとなりには、砂がぎっしり詰まったスパイクシューズ。
また少し歩くと白いボタンのついた白い布。料理人が厨房で着ているあの服のようだ。

私はここまできたあたりで、ようやく分かり始めた。
白いワゴン車が集めてくるもの。それは続きを失くした「夢」の残骸なのだと。

いつの間にか、月が空の真ん中に登っていた。月明かりに照らされた砂丘の砂の合間で、ひときわキラキラと光るものに目がとまった。

ー ああ、あれは…

私は確かに「それ」に見覚えがあった。
見覚えがある、どころではない。
まだ10代半ばの時分からほんの数年前まで「それ」は常に私の生活の真ん中にあり、「それ」に触れない日はなかった。
「それ」は、いわば私のすべてだったのだから。
私は懐かしくなり、思わず「それ」に手を伸ばした。砂をそっと払いのけ、昔のように「それ」を手に取ってみた。

けれども、一体なんと説明したらいいのだろうか。「それ」はかつての「それ」とはまったく違っていた。
重さも、手触りも、なにかかも。
そしてかつて「それ」を手にした瞬間に味わっていた心踊るような高揚感が、今はもう欠片も湧いてこないのである。

ー そうか。

自分の口からこぼれた言葉の意味は分からなかったが、すべて分かったような気がした。

そして車に戻ると、そっとエンジンを掛けた。

・・・・・

街に戻ってきたのは、もう空が白み始めた頃だった。見慣れた小さな商店街はまだ、どの店もしっかりとシャッターを閉めて眠っている。

私は駐車場に車を戻し、アパートへの道を歩いた。誰もいない路地の奥、アパートの手前にまたあのワゴン車が停まっている。
朝から回収だろうか。
かどうやら少し様子が違う。荷台を開けている様子がない。
私はワゴン車の脇をすり抜け、部屋へ戻り眠りについた。

カタン…カタン、アパートの集合ポストに何かを入れている音が、夢の向こうからかすかに聞こえた。

翌朝(といっても昼もとうに過ぎた頃だが)私の家の郵便受けには、なにも入っていなかった。

M君は、故郷に帰ったらしい。

2017年10月21日土曜日

一文字の持つ意味

を考えさせられた昨日。

Facebook で以前に少し書いたけれど、もう一度同じ話をすると。。

私がよく通っているバーのマスターが

「常連さんで引っ越した子がいてね〜、
趣味で曲を作ったり歌ったりもしている人で、
引っ越しの前夜に飲みに来てたんだけど。
前々から引っ越し先に少しずつ荷物を運んでいたから
最後の日の夜は残った荷物少しと、
布団しか部屋に残ってなくて
「あ〜、これから空っぽの家に帰るのか〜」って言ってたから
「そういう時しか書けない曲があるかもよ」なんて言いながら
「kei ちゃんだったらどんな曲を書くかな?」と思ってたよ」

と言ってくれたので、「明日引っ越す人の歌」を書いたのでした。

曲が出来上がったのが今週初めくらいで、
今週水曜日の曼荼羅ライブでさっそく歌ったら
わりとご好評を頂けて嬉しかった。

でも前回の投稿でも書いたけど、私の曲は
一度ライブで歌った後に、またちょっと変わる。

昨日、この曲について人に相談したところ
すごく意外で的確な意見をもらった。

「明日この部屋を出て行く」
という歌詞が出てくるのだけれど
「明日この部屋を出て行くよ」
にしたらどうか、と。

「よ」一文字があるかないかで、何が変わるか。

・出て行く部屋や街に対するさよならの気持ち
・次に住む場所への希望

「よ」が入ると、確かに歌の主体が人間的になって
寂しさや明るさのような、感情や色彩の幅が生まれる。

そうすると最後に、扉を閉めて出て行く姿も
なんとなく浮かんでくるような。。



(どんな曲か分かる程度のクオリティの音源なので期待しないで...)

適当に作っているようで、以外と一文字にも意味がある
ソングライティングの世界。

面白いでしょ!
面白いですかね...?💦

私は昨日すごく感心してしまったのでした。


※今月のライブは 10/23(月)幡ヶ谷Wai、そして 10/27(金)下北沢 空飛ぶこぶたや。
詳細は HP にて。よろしくお願いいたします。

2017年10月3日火曜日

曲を完成させるということ

なにを以って「完成」というか、すごく難しい。

だいたい曲は自宅で作る。
歌詞、コード、メロディを行ったり来たりしながら。

大枠が完成すると、今度は録音して、何度も聴きながら手直しする。

そして新しいもの好きな性格のため「これでいいっか」と思うと、わりとすぐにライブでやってしまう。

ライブで演奏すると、歌いにくい場所や冗長な部分が見えてくる。

そしてまた手直し。

時には「これで完成」と思ってから何ヶ月も経って、コードを変えることもある。

結局いつまでも「完成」は来ない。
だからなかなか音源化も出来ない。
まだこれで完成と思えないので。

でも「もういくらなんでも、これはこれで完成」と思って音源化したところで、必ず変わる。

1枚目のアルバムの1曲目は、現在のライブではキーが違うし、3曲目は構成が違うし…。

誰かが以前に「レコーディングは思い出作り」と言っていたけれど、本当にその通りかも。

その時点でこの曲は、自分の演奏はこうだった、という思い出作り。

というわけで、1曲「思い出作り」しました。
よかったら聴いてみてくださいね、「灰の翼」。

永遠に続くものなんてなくて、
あの時あーしてたら今頃こうなってたかもとか考えることも意味はなくて、
それは空の途中で消えて無くなってる飛行機雲と同じで、
だからちゃんと自分の未来を生きようぜ
という感じの曲です。(説明が軽い...)


「なにを以って完成とするか」

どこかで聞いた話。昔の高名な芸術家は「こういうものを作ろう」と着想した時点で作品は完成している、といったとか言わないとか。

そんなことを言い出したら、もうなにも作る必要なくなっちゃうけども。。